Region[リージョン] No.20 | 渕上印刷
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鹿屋の知人の家に泊まった時のことだ。頃は六月。明け方、ただならぬ気配で目が醒めた。覗かれてるのだ、誰かに。私は薄目を開け、外を見た。誰もいない。気のせいか。だが、気配は去らぬ。今度は目を凝らした。するとカーテンごし、窓の上部に揺れる物影がある。賊は屋根から、私を覗きこんでいるのだ。私は総毛立った。枕辺の眼鏡をかけた。猿が、いた。私が窓辺に近づくと、猿の群れが庭を伝い、裏の山へ消えてゆくところだった。振りかえる猿もいた。子どもを背負った猿もいた。私は知人を起こした。すると彼は、まるで桃太郎のように平然と言った。「ああ猿の衆な、しょっちゅうの事じゃ」私はふと猿渡という言葉を思い浮かべた。猿たちがぞろぞろと移動する沢や里を、おそらく昔の人はこう呼んだのだろう。垂水には、その名も猿ヶ城という渓谷がある。大箆柄岳の中腹近く、緑濃い山肌に、白い岩のコブや引っ掻き傷で出来たとんがった山並みが見える。土地の人は、刀剣山と呼んでいる。いかにも猿ヶ城という名にふさわしい。あるいは、なべての動物園の猿の屋外園舎は、ここをお手本にしたといってもいい位だ。しかも猿ヶ城を洗う川は清烈だ。川原には奇岩巨岩が突っ立ち、川床にも花崗岩がごろごろ転がっている。十年程前、ここで知人と石探しをしたこともあった。なんでもここいらには、ラドン含有量の多い石があるという。十億分の何キューリーと言われても、私にはわからない。ただ、微かな放射線が体にいいということ、それにこんな土や岩に漉された水だから、ここいらの水は旨いということくらいは私にもわかる。知人は貴重な石を拾って、わが家で岩盤浴でもする積りだったのだろう。私たちは川ぞいの木に弁当をぶら下げ、まるで金鉱石を探すように川原を這いつくばった。しかし、戦果ははかばかしくなかった。やがてお昼時、私たちは弁当のある木影に引き返した。だが、弁当はきれいに食べられていた。やはり、猿のしわざだった。私は眠くなったりお腹が空くと、機嫌が悪くなる。が、この時ばかりは、怒りより、なぜか笑いがこみあげてきた。泣きいるような空の青さと、胸にしみる川の水が旨かった。今でも、桜島を眺めながら垂水に着くと、必ず、猿ヶ城と刀剣山のあたりを見やる。すると、猿の惑星だけでなく鬼ヶ島や竜宮城だって、ここからはそう遠くないと思われたりする。ホントにホントなんです。大隅からは宇宙にロケットだって打ち上げられるが、そこは猿や鬼や乙姫だって身近に感じられる地域だ。宇宙や太古とも紙一重だ。これが大隅の冥加でなくて、何であろう。おかだ・てつや1947年、出水市生まれ。ラ・サール高校から東大中退。物語「川がき」シリーズ3部作とともに、久しぶりの詩集「わが山川草木」も好評。猿ヶ城の空の青さ水の旨さ文・岡田 哲也PROFILEessayこっおおのがらだけかすこんし03

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