Region[リージョン] No.27 | 渕上印刷 5/40

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大口 肩肘はらない鳥 とがめやま 神山文・岡田 哲也おかだ・てつや1947年、出水市生まれ。ラ・サール高校から東大中退。物語「川がき」シリーズ3部作とともに、詩集「わが山川草木」も好評。昨年8月にエッセー集「憂しと見し世ぞ」を発刊。片道三十キロ。今と違って七曲がりの石ころ道だった。牛も人も、さぞ難儀だったろう。ただ私は、牛方たちの牛言葉を聞くのが好きだった。左は「ヒダヒダ」、右は「コッコッ」、進めは「オイショ」止まれは「ドウドウ」……。彼らはまるでお囃はやしのように牛に語りかけた。私が物心ついてから耳にした、初めての異国語(!?)だった。また、その名も牛野さんという羽月地区の馬ばくろう喰がいた。彼はわがやに泊まるたび、いつも私にピカピカの十円硬貨をくれた。そしてほろ酔いで私に教えるのだ。「おじさん家げの大口はなあ、お天てんとさん道様が登る、ずっとあっちの方」私にはもちろん、大口の方角より掌のお金が大事だった。彼が泊まった翌朝は、朝陽だって赤あかがねいろ胴色の十円玉に見えたほどだ。ちなみにこの硬貨は、昭和二十六年に誕生した。彼はまた、大口には鳥とがめやま神山があると自慢した。しかし、私がこの山をしげしげと眺めたのは、それから四十年後のことだった。銀杏文芸賞の選考委員に、歌人の伊藤一彦氏や宮原望子氏とともに、私も名を連ねているが、その宮原さんに次のような一首が大口は私が住む出水の東隣だ。境には山ノ神峠がある。今は年に数えるほどしか、この峠を越えない。大口出身の文豪海音寺潮五郎氏ゆかりの銀杏文芸賞に事よせてだ。車では三十分ちょっと。だが、新幹線で二十五分の鹿児島・熊本に比ぶれば、随分と間まどお遠に感じられる。しかし、幼い頃大口は、私にとって山の向こうの近い町だった。大口の人たちが、わがやに出入りしてたからだ。牛の仲買い商の父にとって、大口はいい商い先だった。昭和三十年以前、まだトラックが普及してない時分、父が大口で買い集めた牛は、牛方たちが引いて来た。ある。「鳥神山の肩でごろりと転がった夕陽 をみたが証人がゐない」鳥神山は大口の西の郊外に座っている。標高四百メートルほど、三角おむすびに似た山だ。威厳には欠ける。しかし、思わず微笑みかけたくなる愛嬌がある。裃かみしもつけて肩かたひじ肘張っていないのだ。羽月川ごしのたたずまいは、絶景というより、暮らしの匂いがする妙景だ。なるほど、山とおっぱいは高きがゆえに尊からず、低くても人を和ませるものがあるもんだとつくづく感じさせられる。人の世も、またそうではないか。目立たないことのなかにも、人生の真実はあるのだ。世界や時流の真ん中とやらに立ったり、わが世の春を歌うのもいい。しかし、誰に気付かれなくとも、腐らずくじけずひねくれず、ひっそりと一日をしのぐ人々が、この世の大半なのだ。むろん私がこう言えば、鳥神山は頷きながらこう言うに違いない。「まあ押さえて押さえて。あなたはすぐムキになるからいけない。人生は、そう力んじゃダメですよ、哲也さん。ほらっ、肩の力を抜いて」03

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