Region vol.43
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自分の中の壁を壊し相手の懐に入る 硫黄島での取材を終えて、次にお会いしたのは村主賢治さん。いつも小誌の撮影をお願いしているカメラマンに、「兵庫県出身の面白い移住者がいる」と紹介してもらった方だ。現在は南さつま市の坊津でオリジナルの魚醤や燻製などを製造しているが、ここに来る前はトカラ列島の平島で11年暮らしていたという。早速お会いした村主さんは茶目っ気のある、それでいてとても真面目な方だった。 村主さんは当初、とにかく島での暮らしに憧れていた。きっかけとなったのは1968年の小笠原諸島本土復帰。そのニュースをテレビで見た際、島の人の純粋な表情に心奪われた。「その頃から、一生に一度は島暮らしをしようと決めていました」 30年近く水産加工会社の営業として働いたが、その思いが消えることはなかった。そして子どもたちの大学・大学院の卒業を機に、妻に内緒で会社に退職願いを出す。52歳の時だった。「島で暮らすならこのタイミングしかないなと。ただ、妻には激怒されまして……。最終的には『あんたの好きにしたらええわ』と。もちろん、一緒に来てはもらえませんでした(笑)」 当初は、昔見た小笠原諸島で漁師がしたいと地元の漁業組合の人にも会ったが、「そんな年寄りはいらん」とすげなく断られた。そんな時、東京の釣り仲間に「鹿児島にトカラ列島という島があるけど、どう?」と教えてもらった。 初めて聞いた島だったが、とりあえず行ってみようとそのうちのひとつ、小宝島に滞在。周囲わずか13キロの小さな島で10日間、ひたすらのんびりしてみた。すると宿の女将さんに「あんたやったら島でも住める」と言われて、そのまま鹿児島市内にある役場に相談に行ってみた。「生活できますか?」と役場職員に心配されたが、実はいつかの島暮らしを夢見て、船舶免許や調理師免許、大型特殊、フォークリフト、危険物取扱など、さまざまな資格を取得していた。どうにかなるだろうと、紹介してもらった平島に意気揚々と向かう。しかし……。「正直、かなり長い間、島の右/取材時もずっと笑顔を絶やさない村主さん。左上/魚醤の製造はほぼ一人で行っている。左下/村主さんが作った魚醤は、地元の観光案内所などで販売されている。むらぬし地域に必要とされる人を目指す

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