Region vol.43
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この町で新しい産業を作る方たちとなかなか馴染めませんでした。それまでに島での暮らしを夢見て移住してきた方が何人もいたそうですが、すぐに出ていく方がほとんどだったらしく、私もそんな目で見られていました」 そんな時、京都の友人から仕事を手伝ってほしいと頼まれ、5カ月ほど島を離れた。島に戻る時、その友人にこう言われた。「おまえ、アホやな。何で競争しようと思うんや。こっちがそんなん思ってたら、相手も心を開かんやろ。勝ったとして何になんねん」 言われてみて、確かに島の人に負けまいとしていた自分に初めて気付いた。馴染みたいと思いながら、知らず知らずのうちにどこかで壁を作っていた自分がいた。これではいけない。島の人の懐に入ろう。自分で壁を作ってはいけない。そう思いをあらためて島の人に接すると、それまでが嘘のように輪に入ることができた。 漁のかたわら、魚醤の開発・製造も独学で行い、島の民宿などにも置いてもらえるようになった。移住から11年、島での暮らしは快適だった。「しかし、家族からもう少しアクセスがいい所に引っ越してくれと……。トカラ列島は飛行機もなく、島々を回るフェリーが週に2便あるだけ。一度妻が遊びに来たのですが、悪天候で2週間足止めされたこともあり、後ろ髪を引かれながら再びの移住を決意しました」 新しい移住先を探す中で、自分の船を係留できる場所を優先してたどり着いたのが坊津だった。早速ここでも漁と魚醤の製造を始めたが、移住当初は新しい販路もなく、気ばかりが焦っていた。「友人から介護施設の仕事を紹介してもらったのですが、肌が合わずに2カ月で辞めてしまいました。蓄えもどんどん減り、人生で初めて鬱になってしまうほどでした」 しかし、そんな村主さんにまたしても救いの言葉が舞い降りる。あるテレビ番組で成功者の実体験が紹介され、「失敗しても諦めない。どうすれば続けられるかを考えることが大切だ」という言葉に勇気づけられた。「自分は魚醤作りがしたい。そのためには、続けるだけのお金を稼げばいいと。当たり前のことかもしれませんが、当時の私にとってはまさに福音でした」 その後、資格を生かして病院で調理の仕事に就き、終わってから魚醤作りをする日々が続いた。「一晩中、工房で魚醤を作っているわけですよ。最初は『何だ、あいつは?』って思われていたそうです(笑)」 必死で働く村主さんに地元の方々も少しずつ理解を示し、助けてくれるようになった。「これは使えんか」と、地元の漁師が魚を持ってくるようにもなった。 また、南さつま市はすぐ目の前に豊かな海があるにも関わらず、売れない魚は廃棄し、加工するための施設もなかった。そんな未利用や低利用の魚をどうにかできないかと村主さんが考えたのが、燻製を作ることだった。「これらの事業が、ゆくゆくは南さつまの新しい産業になればいいなと。そうすれば新しい雇用もきっと増えるのではないかと考えています。私の仕事も、もしやりたい方がいらっしゃれば、いずれは譲ってもいいと考えています」 こだわりの魚醤と燻製は評判を呼び、今では調理の仕事も辞めて製造に専念している。そんな村主さんは今、地元の方と協力して鯖を使った商品作りに取り組んでいる。いずれこの町を、鯖の町として全国に知られるようにしたいというのが大きな夢だ。右/燻製は、坊津で獲れたシイラやウルメイワシなどを原料としている。左/坊津を訪れた観光客に、地元の案内をすることもしばしば。

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