Region vol.43
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 薩摩半島南端から南南西約40キロの位置にある三島村のひとつ、硫黄島。西アフリカの伝統的な打楽器「ジャンベ」の島として知られており、「ジャンベ留学生」というユニークな制度で地域おこしを図っている。 県内を中心に全国から留学生を募集している島なら、そのまま島に移住した人もいるのではないか。そう考えて、みしまジャンベスクールの校長を務める徳田健一郎さんに聞いてみると、まさに留学を終えてそのまま現在も暮らしている方がいるという。早速アポイントを取り、硫黄島に向かった。 水曜日の午後7時半過ぎ。街灯もなく、真っ暗な空間にたたずむみしまジャンベスクールの建物内から、軽快な太鼓の音が聞こえてくる。叩いているのは硫黄島の同志で結成されたジャンベグループ「あ・ぼーら」の面々。その中で講師役を務めているのが、今回お話を伺う横山毅さんだ。ジャンベを学びながら村の仕事を手伝うという、半年間の留学制度がスタートしたのは2005年。横山さんはその1期生に当たる。 姶良市出身の横山さんがジャンベと出会ったのは2004年。友人から、鹿児島市で開催されたワークショップに誘われたのがきっかけだった。「実は最初の2回はさぼったんですよ。3回目の講座に行ったら、すっかりほかの人から遅れていて。かっこ悪いと思ったんですけど、そのままやめるのはもっとかっこ悪いかと。意地ですよね(笑)」 初めて聴く異国のリズム。最初は全く乗れなかったが、次第にその魅力にとりつかれていった。うまくなりたいと、講師を務めていた徳田さんが暮らす硫黄島に行ったこともある。幸運だったのは、それからすぐにジャンベ留学生の制度がスタートしたこと。迷わずに応募した。「来たからには最低でも5年は住もうと。島に来て、直感で『ここで暮らしたいな』と思ったことも大きかったですね」 島では一心不乱にジャンベを叩いた。最低限の住む場所とお金は補助されていたが、島の人たちに教えてもらいながら山の伐採や清掃作業などさまざまなことを手伝って生計を立てた。「最初はそれまでの暮らしとのギャップがありました。けれど、この島でずっと暮らしている人をリスペクトすること。それがまずは大切だと思いました。いきなり自分の考えを押しつけるのは、人の家に土足で入るようなものだと思いますから」 留学期間を終えてからも島に残った横山さんは、それからほどなくして住民票も移す。単身での移住は、当時としてはかなり珍しかったという。 3年前にはこの島で結婚もした。お相手は同じく留学生の5期生として島に来ていた綾さん。結婚とほぼ同時に、島で畜産の仕事も始めた。もちろん未経験だったが、綾さんと協力しながら、そして島の人たちにも助けられながら今では約10頭の牛を飼っている。 また、毎週水曜日には島の人たちにジャンベを教えており、その後に「あ・ぼーら」のチーム練習が始まる。チームのメンバーは、もともと島で暮らす人のほかに村の学校に赴任してきた先生の奥さまずは島で暮らす人をリスペクトすることジャンベを通して硫黄島の魅力を伝えたいたけし右/「島での暮らしにもだいぶ慣れました」と横山さん。左/牛の世話は綾さんと協力しながら2人でしている。魔法の楽器で人と人、人と島をつなぐ

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